| 昭和42年 |
7月12日創立結成総会開催(出席者60名)全国で13番目、県内では黒部、砺波、氷見に続いて4番目当時富山県内には富山青年会議所のみ存在、高岡の経済界の若手を結ぶ会として最初であった。当時の役員は、高岡商工会議所専務理事より委託され決定された。副会長は委員長を兼ねていて、委員会は理事を含む役員の中で構成。会員数77名 会費6,000円 |
| 昭和43年 |
広報委員会が初めて作られ、「青年部会だより」(今日の会報)の第1号を発刊。副会長3名、委員長6名 |
| 昭和44年 |
会員数80名 会費9,000円 |
| 昭和45年 |
第2代会長竹中時造氏は、今までの事業目的委員会をやめて、業種別委員会、即ち、商業第一・第二、工業第一・第二委員会を設置、それに従来からある厚生委員会、広報委員会の6つの委員会で活動。 |
| 昭和46年 |
高岡に「ユニー」と「いとはん」が進出することになり、流通革命の中、今後何をするべきか、いち早く福井視察など開催調査、研究している。 |
| 昭和47年 |
この年、商工会議所会館は、会議所ビル建設のため、7月23日に問屋センター組合会館内に仮移転。
会員数92名 会費12,000円 |
| 昭和48年 |
高岡商工ビルが本年12月13日竣工。当部部会の活動拠点として611号室を使わせて頂ける事になる。この年、伝統産業青年会が青年部会の有志によって結成、49年2月17日創立総会開催。 |
| 昭和49年 |
今までの6つの委員会から、組織委員会が作られ、その委員会によって青年部会の規約改正が行なわれている。今までの ”規約”を ”定款”に改め、それを骨子とし新たに運営規定を設けて、運用を容易にしている。また単年度であることから、活動の引継ぎを速やかに行うため予定者制度を新設。これより4月と1月の年2回定時総会開催となり、単年度のギャップを埋める手段として直前会長を役員として追加。
会員数109名 会費2,0000円 |
| 昭和50年 |
この年新たに会員委員会が設けられた。今の厚生委員会と会員開発委員会を合わせ持った委員会であった。 |
| 昭和51年 |
10周年を迎えたこの年は、従来の青年部会の性格であった業種別部会の形態は一変し、自己の意思に基づいて委員会を選択できるようになった。また、初めて専務理事制をとり、副会長がいくつかの委員会を担当するようになり、現在の組織ベースともいえる組織編成が行なわれている。また、業種別委員会の形態がなくなることで、業種別の課題が生じた時に親会議所に意見反映が出来なくなることや、理事選出に各業種から選出されなくなることを解消するため、業種別部会が設置されることになる。 会員数123名 会費30,000円
県商工会議所青年部会協議会が発足 |
| 昭和52年 |
全国475商工会議所の内、青年部設置はわずか75ヵ所であった。現在も行なわれているクリスマス家族例会が行われるようになる。 会員数136名 会費36,000円 |
| 昭和53年 |
8月半ばでありながら臨時総会が開催され、新幹線問題特別委員会を設置それに伴って委員会予算が承認された。委員長には京本会長が兼務、新幹線現駅併設を訴え41,514名の署名を集め、再三の市や県の陳情を経て、福田総理や福永運営大臣に陳情。しかし、4年後分離駅の決定が下される。
新湊、滑川部会が設立され、県内8単会が揃う。 |
| 昭和54年 |
これまでの会員委員会が、会員開発委員会と厚生委員会に分けられ、さらに部会運営の総括的窓口として総務委員会が追加された。この年の6月に第1回家族大運動会が開催され、後に夏の家族例会として継承される。尚、当時の企画委員会は各月の例会を担当するのが主力事業であった。 会員数162名名 北信越ブロック大会が高岡で3月1日開催され、全国組織結成に向って活発に意見が交換される。 |
| 昭和55年 |
部会旗が卒会生より贈られる。この年より業種別部会が定款に明記され。同好会が運営規定に明記されたのも1月総会のことであった。会員数178名 会費45,000円
県の協議会が連合会となる。 副会長4名より5名体制となる。 |
| 昭和56年 |
15周年のこの年4月定時総会にはサントリーの佐治敬三社長の記念講演が行なわれ、懇親会の席上部会の顧問を快諾していただいた。全国組織特別委員会が設置され全国組織結成にむけて研究、準備が活発に行なわれた。全国組織の必要性をいち早く訴え続け、また、そのための苦労は並大抵ではなかったと思われる。15周年記念式典。講師・渡辺大蔵大臣 |
| 昭和57年 |
10月29日 全国商工会議所青年部連合会結成大会開催 記念講演「瀬島龍三氏」日商特別顧問 来賓永野日商会頭、安部通産大臣、中沖知事など。前年第1回全国大会が前橋で開催されているが、高岡部会はそれを全国組織準備大会と呼んでいる。会員数206名 |
| 昭和58年 |
組織体制が現在のものに確立されていく。副会長が2委員会を担当。委員会事業の継続性、出席率の高揚、スリーピング会員の活性化が200名体制の問題としてクローズアップされてくる。テーマも「参加から参画へ 担え新たなる時代への責任」とスローガンにも現れているように、受動的な形でなく、積極的に計画に携わり、もっと責任ある立場を明確にしていこうということであった。 |
| 昭和59年 |
親会議所活動への参加を要望して運動してきたが、この年商工会議所業種別部会へ参加することができた。さらに実質的な参加へと真剣に考えていく必要性があるとしている。
関部会と姉妹部会し締結。 |
| 昭和60年 |
この年より「願い七夕」「ミスコンテスト」が始まる。イベント事業を主管することにより、青年部会の対外的立場をアピールすることに主力が置かれるようになる。20周年記念式典開催。
第1回鍋まつり参加。 |
| 昭和61年 |
この年度、商青連中央研修会で売上税反対の決議をした。これも高岡部会が緊急動議として提案したためでした。OB会である緑水会が設立。 |
| 昭和62年 |
「願い七夕」関連事業として東京出向キャンペーンが行われた。また色々論議も噴出したが第3回ミスコンテストを例会として開催。イベント事業が華やかになる半面、部会活動の本質が問われ始めた。 |
| 昭和63年 |
高岡青年コミュニティ会議が始まる。 「日本一のジャンボ願い七夕」が、文字どおり高岡の七夕まつりを大きく飾り、日本一を知らしめた半面、その後の取組み方にも問題が残った。 |
| 平成元年 |
この年市政100周年を迎え、部会も参画している。また社会的認知が高まってくると同時に、七夕まつり、万葉まつり、日本海なべまつり等高岡市のイベント参加、他団体との交流、親会議所との連携など、色々な場面での期待も多くなってきた。それをいかにこなすかではなく、自分たちの活動、企業にどういかせるかがポイントになってきた。例会委員会が作られ、講師例会をすべて担当。
第9回北信越ブロック運営研究会を9月例会として開催 |
| 平成2年 |
ミスコン6年目、ジャンボ七夕4年目を終了した時点で、執行部より対外事業の見直しを理事会に提案し、5カ月の協議、審議を行った。執行部として、このままズルズル事業を継承することに疑問を感じ、今後のため、あえて提案を行った。結論として「ミスコンは、主管をはずれ一協賛団体の立場となり運営委員会が実際運営していけるように協力する」 「願い七夕は継続事業とするが、ジャンボ七夕は単年度事業とする」と決定。この問題は現在もなお続いている問題でもある。七夕流しを8月例会開催。また大阪で開催された花と緑の万国博覧会で、高岡市の日にジャンボ七夕を建立し、高岡七夕まつりをアピール。(万葉歴史館と高岡テクノドームがオープンした。)第10回の全国大会(浜松)でYEG、綱領、指針、青年部の歌が発表。 |
| 平成3年 |
青年部会25周年。記念講演会に出雲市の岩国哲人氏を呼びオープン例会とする。また6月例会には桜井良子キャスターなど各月の講演会にも予算を多めに配分してボリュームアップを図る例会とする |
| 平成4年 |
2年前より開催されていた事業委員会発表会を2月例会開催。事業委員会の活性化と部会の本質を考え、親会議所及び行政に提言のできる団体へと目指すようになる。
また各自の勉強、研究にとどまらず具体的なものまで現実化できる団体を目指す意味からも会の長期的ビジョンの確立、継続方法など真剣に模索しなければならない時期に来ているということで45才体制を提案されていたが、時期早々ということで一部出向役員に限り定年延長が出来ることとなる。JET高岡の日にジャンボ七夕を建立。 |
| 平成5年 |
親会議所定款に青年部として明確に位置付けられたことも受けて、青年部の活動、本質について真剣に検討され、1月総会にて名称を青年部会より高岡商工会議所青年部と改定。また希望して理事会承認を受ければ45才まで活動出来ることとなる。これで氷見を除き県内青年部の名称となる。親会議所議員総会等青年部のオブザザーバー出席が認められる。 |
| 平成6年 |
高岡YEG宣言発表。今後の青年部の方向性を示す。 |
| 平成7年 |
1月定款変更により会員すべてを対象に45才定年が決定される。 |
| 平成8年 |
青年部創立30周年 |
| 平成9年 |
高岡市の問題点や未来への展望を描いたビデオ『高岡に生きる』が製作される |
| 平成10年 |
七夕祭りにディズニーのパレードが来る |
| 平成11年 |
高岡なべ祭りの会場で商工フェアTAKAOKAが開催され、青年部会員企業も多数出店 |
| 平成12年 |
アメリカへ海外視察に行く |
| 平成13年 |
青年部創立35周年。地域への感謝の意を込めて例会は全てオープンで開催。 |
| 平成14年 |
市町村合併に向け『青年市町村合併協議会』が発足。
伏木商工業青年部会との交流がスタート |
| 平成15年 |
データの省スペース化、利便性を図り、理事会資料などがデジタル化される |
| 平成16年 |
福岡町商工会青年部との交流が深まる。
運営(入会)規定が変更される(地域条件について) |
| 平成17年 |
交流を伏木商工業青年部会と初めて合同で例会を開催 |
| 平成18年 |
青年部創立40周年。講師例会は全てオープンで開催
「高岡商工会議所青年部版 ACTION PLAN 2006」の作成 |